大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和62年(ワ)4384号 判決

原告

山見徹

右訴訟代理人弁護士

五百蔵洋一

森井利和

被告

炭研精工株式会社

右代表者代表取締役

永井彌太郎

右訴訟代理人弁護士

八代徹也

主文

一  被告は原告に対し、二万九四四〇円及びこれに対する昭和六一年四月二六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  原告が被告に対し、雇用契約上の権利を有する地位にあることを確認する。

2  被告は原告に対し、一四万〇四七〇円及びこれに対する昭和六一年四月二六日から支払済みまで年五分の割合による金員並びに昭和六一年五月から毎月二五日限り一八万四〇〇六円を支払え。

3  訴訟費用は、被告の負担とする。

との判決及び第2項について仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は、原告の負担とする。

との判決

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、昭和五五年一一月一〇日、被告会社に雇用され、以後、旋盤工として勤務してきた。

原告と被告会社の雇用契約においては、前月一六日から当月一五日までを一月とし、その間の賃金を毎月二五日に支払うものと定められ、昭和六一年三月当時の賃金額は、(一)本給・月額一〇万四二〇〇円、(二)職能給・月額四万九二〇〇円、(三)固定手当・月額二万八〇〇〇円、(四)洗濯補助費・月額八〇〇円、(五)通勤手当・月額一八〇六円の合計一か月一八万四〇〇六円とされていた。

2  しかるに、被告会社は、昭和六一年三月二八日以降原告の就労を拒絶し、同年四月一日に、原告を解雇したとして、原告が被告会社に対し雇用契約上の権利を有する地位にあることを争い、同年四月二五日支払期以降の賃金を支払わない。

3  なお、被告会社の賃金規則によると、賃金を日割計算する場合は月額の二五分の一を一日の額とし、業務外の欠勤については、一日目は基準内賃金(本給、職能給、固定手当をいう。以下同じ。)の日割額(月額の二五分の一)の三分の一、二日目は日割額の三分の二、三日目以降は日割額の一日分を加算して控除する旨定められている。そして、原告は、昭和六一年三月一六日から同年四月一五日までの間に六日間欠勤したので、基準内賃金合計額一八万一四〇〇円の二五分の六である四万三五三六円が控除される。したがって、原告の昭和六一年四月二五日支払期の賃金は、一四万〇四七〇円である。

4  よって、被告は、原告に対し、原告が被告会社に対し雇用契約上の権利を有する地位にあることの確認と、昭和六一年四月二五日支払期の賃金一四万〇四七〇円及びこれに対する支払期日の翌日である昭和六一年四月二六日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金並びに昭和六一年五月から毎月二五日限り各一八万四〇〇六円の賃金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1、2の事実は認める。

2  同3の事実は、そのうち被告会社の賃金規則に原告主張のような定めがあることは認め、その余は争う。原告は、昭和六一年三月一七日から同月二七日までの九日間欠勤した。

三  抗弁

被告会社は、昭和六一年四月一日、原告を懲戒解雇した(以下、この懲戒解雇を「本件解雇」という。)。その理由及び経緯は、以下のとおりである。

1(一)  原告は、昭和六一年三月一六日、公務執行妨害罪により逮捕され、引き続き同月二七日まで勾留され、そのため同月一七日から二七日まで休日を除き九日間連続して欠勤した。

なお、昭和六一年三月一七日、「三月一七日から三月一九日まで三日間事情により出社できません。」との原告名の届出書が原告以外の社員から被告会社に提出された。しかし、押捺されている印影は作業用に使用されるゴム印によるものであり、「有給休暇の申請」との文言もなかったので、出社できない事情を原告に問いただそうとしたが、原告と連絡がとれなかったため年次有給休暇の時季指定とは認められなかった。

また、同月二〇日、原告代理人から「逮捕されたため出勤不可能である」旨の欠勤届が被告会社に提出されたが、被告会社は、ただちにこのような理由による欠勤は認められない旨を原告代理人に通知した。したがって、原告の昭和六一年三月一七日から同月二七日の間の欠勤は「無断欠勤」に該当する。

(二)  被告会社は、原告の逮捕をきっかけに調査したところ、次の各事実が判明した。

(1) 原告は、採用面接を受ける際に被告会社に提出した履歴書には、学歴・高等学校卒業、賞罰・なしなどと記載し、面接の際にも被告会社代表者の質問に、履歴書のとおり間違いはなく、賞罰はない旨を述べていた。

(2) しかし、原告は、昭和四八年四月、福岡大学商学部商学科に入学し、昭和五二年九月同大学を中退していた。

(3) また、原告は、昭和五二年五月いわゆる成田空港反対闘争に参加し、同月七日、公務執行妨害及び兇器準備集合の各罪により逮捕され、同月二八日、千葉地方裁判所に起訴され、昭和五六年一月二二日、同裁判所において同罪により懲役一年六月(四年間執行猶予)に処せられ、この判決は、そのころ確定していた。

原告は、昭和五三年三月、再び、いわゆる成田空港開港阻止闘争に参加し、航空法違反、兇器準備集合、火炎びんの使用等の処罰に関する法律違反、公務執行妨害及び傷害の各罪で逮捕され、同年四月、千葉地方裁判所に起訴され、昭和五八年六月二〇日、同地裁において懲役二年(四年間執行猶予)に処せられ、この判決は、そのころ確定していた。

(4) 原告は、昭和五八年三月六日、東京都大田区蒲田付近において、いわゆるビラ配りを行ったため、軽犯罪法違反罪により逮捕され、同月七日、被告会社を欠勤したが、その際、友人事故のため急用で欠勤する旨の内容虚偽の欠勤届を被告会社に提出していた。

(三)  被告会社は、従前から会社内におけるいわゆるビラの配付を厳重に禁止していたのに、原告は、昭和六一年三月二八日、被告会社内で、このくらいのことはよい等と称して被告会社の再三にわたる制止を無視し、原告の前日までの欠勤を弁解する内容のビラを被告会社の従業員に配付した。

2(一)  ところで、被告会社の就業規則は、懲戒解雇事由として、(1)正当な理由なく七日以上継続して無断欠勤したとき(就業規則三八条一号)、(2)職務上の指示に不当に反抗し職場の秩序をみだしまたはみだそうとしたとき(同条三号)、(3)氏名又は経歴をいつわりその他不正な手段によって雇い入れられたとき(同条四号)、(4)禁こ以上の刑に処せられたとき(同条一二条)、その他前各号に準ずる不都合な行為があったとき(同条一三号)、(5)前条各号(けん責、減給又は出勤停止事由の定め)に当たる場合でその情状が重いとき(同条一四号)等を規定している。

そして、就業規則三七条は、けん責、減給又は出勤停止事由として、(1)出勤若しくは出張などに関し故意に虚偽の申告をし又は不正な行為をしたとき(同条三号)、(2)その他前各号に準ずる不都合な行為があったとき(同条一四号)等を規定している。

(二)  そして、原告の右1(二)の行為が就業規則三八条一号又は一三号の懲戒事由に該当することは明らかである。

(三)  また、原告は、被告会社に雇用されるに先立って提出した履歴書の学歴は高等学校卒業、賞罰なしとの記載及び面接の際の同趣旨の説明は、右1(二)の(1)ないし(3)のとおり、虚偽のものであり、また、現に公判中であることを秘匿したものである。

この原告の行為は、就業規則三八条四号の懲戒解雇事由に当たる。

すなわち、被告会社は、中途採用の旋盤工は、高等学校卒業者又は中学校卒業者から採用することとし、公共職業安定所を通じて示した募集要綱にもそのことを明記していたから、原告もそのことを知っていたにもかかわらず、右のとおり、学歴について虚偽の説明をしたものである。また、使用者は、ある者を雇用するか否かを決定するためには、その者が、刑事裁判の公判中である場合には、事件の概要、有罪判決を受ける見込み、収監される見込みの有無等を知り、その者の人格、能力、識見、勤務への影響の有無等を判断する必要があるから、刑事事件の公判中であることを被告会社に告知すべき義務があったというべきである。そして、被告会社は、原告が大学中退であり、右のような事件で公判中であることを知っていれば、原告を雇用することはなかったのであるから、原告は、学歴を偽り、公判中であることを秘匿するという不正の手段によって被告会社に雇用されたということができる。

(四)  原告は、右1(二)(3)のとおり、二回にわたって懲役刑に処せられており、このことが、就業規則三八条一二号の懲戒解雇事由に当たることは明らかである。

(五)  また、被告会社の就業規則によると、従業員は、就業規則第九条により提出した書類(入社の選考試験を受けるに当って提出した履歴書等)の記載事項中の本籍、現住所、通勤方法、自己の氏名、世帯主の職業、家族、学歴及びその他重要な事項に変更が生じたときは、遅滞なくこれを会社に届け出なければならないとされているところ、この「その他重要な事項」中には、履歴書の賞罰欄の記載事項である、懲役刑に処せられた事実が含まれることは、信義則上も当然である。しかるに、原告は、右1(二)(3)のとおり、二回にわたって懲役刑に処せられているにもかかわらずこれを会社に届け出ていない。そして、昭和六一年三月二八日に出勤して以降も、会社がこの事実を確認しようとしても、原告は言う必要がないとして、これを明らかにしなかった。また、原告は、右1(二)(4)のとおり、昭和五八年三月七日の欠勤について虚偽の届出をしている。

以上の事実は、出勤若しくは出張などに関し故意に虚偽の申告をし又は不正な行為をしたときとの就業規則三七条三号に規定するけん責、減給または出勤停止事由に当たる場合でその情状が重いときであるから、就業規則三八条一四号又は一三号の懲戒解雇事由に該当する。

(六)  また、右1(三)の行為が、就業規則三八条三号の懲戒解雇事由に当たることは明らかである。

四  抗弁に対する認否及び原告の主張

1(一)  抗弁冒頭の事実は、被告会社が、昭和六一年四月一日、原告に対し、懲戒解雇の意思表示を行ったことは認める。

(二)  抗弁1(一)のうち、原告が、昭和六一年三月一六日、公務執行妨害罪により逮捕され、引き続き同月二七日まで勾留されたこと、同月一七日から同月二七日までの間勤務しなかったことは認め、その余は争う。

原告は、同月一七日から一九日までの三日間は、後述のとおり年次有給休暇を取得したものであり、同月二〇日から同月二七日までの間の休日を除き欠勤したが、これについては、被告会社に届け出ており、無断欠勤には該当しない。

(三)  抗弁1(二)(1)は、そのうち原告が、履歴書に「賞罰なし」と記載したことは認め、その余は否認する。同(3)は、そのうち原告が被告会社主張のような刑事裁判を受け、刑に処せられたことは認める。同(4)は否認する。

(四)  抗弁1(三)の事実は、そのうち原告が、昭和六一年三月二八日、被告会社内でビラを被告会社従業員に配付したことは認め、その余は争う。

(五)  抗弁2(一)は、争う。

(六)  抗弁2(二)は争う。

原告は、昭和六一年三月一七日、同僚を通じて同日から同月一九日までの三日間について年次有給休暇の時季指定を行った。したがって、同月一七日から一九日までの三日間勤務しなかったことは欠勤には当たらない。そして、原告は、同月二〇日から二七日までの間、欠勤したが、その日数は、休日を除くと六日間にすぎない上、同月二〇日に欠勤届を提出しているから、無断欠勤したものでもなく、なんら就業規則三八条一号、一三号の懲戒解雇事由に当たるものではない。

なお、被告会社は、欠勤は使用者の承認を必要とし、承認のない欠勤は懲戒事由になる旨主張するようであるが、欠勤の届出がされておれば労働力の適性配置を妨げることはないから、承認はなくとも、懲戒事由となるものではない。したがって、懲戒事由としての「無断欠勤」とは無届欠勤を意味するものと解すべきである。

仮に、原告が欠勤したことが、就業規則三八条一号、一三号の懲戒解雇事由に当たるとしても、原告は、欠勤することを届け出ており、労働力の適性配置を妨げられなかったのであり、これを理由として解雇することは、解雇権を濫用するものである。

(七)  抗弁2(三)は争う。

刑事裁判の公判係属中であることは「賞罰」に含まれないから、履歴書の「賞罰なし」との記載は、虚偽ではない。また、原告には、刑事事件で公判係属中であることを入社時に被告会社に告知する義務はなかった。いずれにせよ、「氏名又は経歴をいつわりその他不正な手段によって雇い入れられたとき」との懲戒解雇事由(就業規則三八条四号)には該当しない。

(八)  抗弁2(四)は争う。

「禁こ以上の刑に処せられたとき」の懲戒解雇事由は、被告会社の従業員となった後の行為によって禁こ以上の刑に処せられた場合で、禁こ以上の刑に処せられたことが企業秩序と結びつくときを前提とするものである。しかるに、原告の処せられた懲役刑は、いずれも入社前の破廉恥罪ではない行為によるものであって、執行が猶予されているため労務の提供に影響はなく、被告会社の職場秩序を乱すおそれのないものであり、原告は一旋盤工にすぎないから、原告が懲役刑に処せられたことによって被告会社の社会的信用を害するものでもない。したがって、「禁こ以上の刑に処せられたとき」の懲戒解雇事由は、このような場合をも含むものとは解すべきではなく、原告が、懲役刑に処せられたことは、就業規則三八条一二号の懲戒解雇事由には当たらない。被告会社は、原告に対し、懲戒解雇の意思表示を行った際には、就業規則三八条一二号を解雇事由として挙げていない。このことは、従業員になる前の行為によって禁こ以上の刑に処せられた場合には適用のないことを示している。

(九)  抗弁2(五)は争う。

原告には、就業規則上も、信義則上も、懲役刑に処せられたことを被告会社に告知する義務はなかった。

また、抗弁1(二)(4)のような事実があったとしても、本件解雇の三年以上も前のことであって、当時は全く問題とされず、極めて軽微な違反であって、欠勤の旨は事前に届け出られていて被告会社に実害もないから解雇事由に当たるものではない。

(一〇)  仮に、被告会社が抗弁2(三)ないし(五)で主張するような懲戒解雇事由があったとしても、右(八)及び(九)記載のような事情のある本件において、これらを理由として原告を解雇することは解雇権の濫用である。

(一一)  抗弁2(六)は争う。

被告会社においては、以前から、しばしば会社内でビラの配付が行われていたが、それが問題とされたことはない。そして、原告が、昭和六一年三月二八日に配付したビラの内容は、原告の逮捕された事件に労働組合が取り組むよう訴える正当なものであり、ビラ配付の時間も就業時間前の短時間であり、場所もタイムレコーダー室前の廊下という、会社業務には影響のない場所であり、配付によってトラブルも生じなかった。これらの事情を考慮すると、原告がビラを配付したことは、就業規則三八条三号の懲戒解雇事由に該当しないか、該当するとしても、これを理由として解雇することは解雇権の濫用である。

2(一)  被告会社は、次の(二)ないし(四)のとおり、原告が被告会社の従業員で組織される炭研精工労働組合(以下単に「組合」という。)の執行委員であり、活発な組合活動を行っていたことを嫌悪していた。一方、本件解雇当時、組合は、後述する大畑龍次の配転問題に全精力をつぎこんで、相当程度疲弊し、新たな争議を行えない時期にあった。本件解雇は、たまたま、原告が逮捕されたことをきっかけに、組合が右のような時期にあることを利用して、原告を被告会社から排除することを目的としてされたものである。したがって、本件解雇は、原告が組合員であるが故のないしは原告の組合活動の故の不利益取扱いであって、労働組合法七条一号の不当労働行為に当たるから無効である。

(二)  すなわち、原告は、昭和五六年一月組合に加入し、以後、活発に組合活動を行い、昭和五九年九月一〇日以来その執行委員であり、昭和六〇年九月一〇日以降は、教宣部長を担当し、組合ニュースの発行責任者であった。

(三)  一方、被告会社は、かねてから組合を敵視し、次のとおり不当労働行為を行うなど、組合と対立していた。

(1) 会社は、組合役員、積極的活動家に対する配転を行い、組合活動への打撃を図ってきた。例えば、昭和五三年一月、昭和五二年年末一時金闘争を中心となって支えた組合活動家である星野泰夫を右闘争修了直後に広島営業所に配転した。

また、昭和六〇年一月二一日には、組合の執行委員であった大畑龍次に対し、広島営業所への配転を前提とする営業部長付への配転を命じた。組合は、これを組合活動家に対する報復人事として問題とし、ストライキ権を確立して闘争態勢に入り、会社が、同年八月一七日、大畑に対する広島配転の辞令を発令し、九月二日に、直ちに広島営業所で就労せよとの通告をして以降は、大畑の指名ストライキを継続するとともに、様々の手段による撤回闘争を行った。この問題は、昭和六一年三月二二日、会社と組合が、配転についての協議約款を内容とする覚書と大畑の広島営業所での勤務年数を、着任後最長五年(実態四年)とするとの覚書を締結して解決した。

(2) 被告会社は、昭和五六年一〇月、本社のプレス部門を神奈川県茅ヶ崎市所在の湘南炭素工業株式会社に移転し、同部門の従業員を右会社に出向させる旨発表した。組合は、これに反対したが、会社は、昭和五七年二月、右計画を強行実施した。

(四)  原告は、右プレス部門の移転問題について、組合の集会で移転反対の意見を強く主張し、大畑の配転問題については、執行委員、教宣部長として組合の先頭に立って活動した。

3  被告会社は、原告に、本件解雇の意思表示をする際、労働基準法二〇条に定める解雇予告手当の提供をしていないから、本件解雇は無効である。

五  原告の主張に対する認否

1  抗弁に対する認否及び原告の主張1のうち、本件解雇が解雇権の濫用であるとの主張は争う。

2  抗弁に対する認否及び原告の主張2(一)は、そのうち、原告が、組合の執行委員であったことは認め、その余は争う。同(二)は、そのうち原告が、昭和五七年九月一〇日、組合の執行委員となったことは認め、その余は不知。同(三)は、冒頭の主張は争い、(1)のうち、会社が、昭和五三年、星野に広島営業所配転を命じたこと、昭和六〇年、大畑に同営業所配転を命じたことは認め、その余は争い、(2)は争う。同(四)は、争う。

3  抗弁に対する認否及び原告の主張3は争う。

被告会社は、原告に本件解雇の意思表示をする際、予告手当を提供したが、原告は、その受領を拒絶した。

第三証拠(略)

理由

一  請求原因1、2及び3のうち被告会社の賃金規則の内容は、当事者間に争いがない。

二  被告会社が、昭和六一年四月一日、原告に対し、懲戒解雇の意思表示を行ったことは当事者間に争いがない。

三  そこで、右本件解雇の効力について検討する。

1  抗弁1(一)のうち、原告が昭和六一年三月一六日公務執行妨害罪により逮捕され、引き続き同月二七日まで勾留され、そのため、同月一七日から二七日まで休日を除き九日間勤務しなかったこと、同月二〇日、原告の意思に基づいて欠勤届が被告会社に提出されたこと、同(二)(1)のうち、原告が採用面接を受ける際被告会社に提出した履歴書に賞罰・なしと記載したこと、同(二)(3)のうち、原告が、昭和五六年一月二二日、千葉地方裁判所において公務執行妨害罪及び兇器準備集合罪により、懲役一年六月(四年間執行猶予)の刑に処せられ、そのころこの判決が確定したこと、昭和五八年六月二〇日、同裁判所において、航空法違反、兇器準備集合、火炎びんの使用等の処罰に関する法律違反、公務執行妨害及び傷害の各罪で懲役二年(四年間執行猶予)の刑に処せられ、この判決はそのころ確定したこと、同1(三)のうち、原告が、昭和六一年三月二八日、被告会社内においてビラを配付したこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

右争いのない事実に、(証拠略)並びに弁論の全趣旨を総合すると、次の各事実を認めることができる。

(一)  原告は、昭和四七年三月福岡県立修猷館高等学校を卒業し、昭和四八年四月福岡大学商学部第二部商学科に入学したが、昭和五二年九月一四日付けで同大学を除籍されて中退した。

(二)(1)  原告は、昭和五二年五月のいわゆる成田空港反対闘争に参加したことに関連して、逮捕、勾留された後、そのころ、起訴され、昭和五六年一月二二日、千葉地方裁判所において兇器準備集合及び公務執行妨害の各罪によって懲役一年六月(四年間執行猶予)の刑に処され、この判決は、そのころ確定した。

この判決によって、原告の犯罪行為として認定されている事実は、概略次のようなものであった。すなわち、原告は、昭和五二年五月七日、二百数十名と共謀の上、千葉県山武郡芝山町所在の通称鉄塔台地付近において、同日行われる予定であったフライトチェックを妨害する目的で古タイヤを積み上げて油を撒布したものに火をつけて炎上させたが、この消火に当たった警視庁機動隊の消化活動等を妨害するとともに、機動隊を攻撃しようと企て、〈1〉右機動隊所属の多数の警察官らの身体に対し、共同して危害を加える目的で右二百数十名とともに竹竿、石塊などの兇器を準備して集合し、〈2〉右任務に従事中の警察官に対し、竹竿で突き、殴打し、又は石塊を投げつけるなどの暴行を加え、右警察官の職務の執行を妨害した、というもので、その際、原告は、竹竿集団に所属し、竹竿を水平に構えて示威、あるいは激しく突く、殴る等の暴行を加えたとされている。

(2)  原告は、また、昭和五三年三月の同空港開港阻止闘争に参加したことに関連して、逮捕、勾留された後、そのころ、起訴され、昭和五八年六月二〇日、千葉地方裁判所において航空法違反、兇器準備集合、火炎びんの使用等の処罰に関する法律違反、公務執行妨害及び傷害の各罪によって懲役二年(四年間執行猶予)の刑に処され、この判決は、そのころ確定した。

この判決によって、原告の犯罪行為として認定されている事実は、概略次のようなものであった。すなわち、原告は、成田空港開港阻止闘争の一環として、千葉県山武郡芝山町内にその根拠地として構築されていた通称「横堀要塞」に五〇名の者とともに立てこもっていたが、〈1〉右五〇名と共謀の上、いわゆる成田空港(新東京国際空港)の各滑走路の進入表面等に関する運輸大臣の告示がされた後の昭和五三年三月二五日から二六日ころまでの間、同空港着陸帯Bの進入区域内にある右横堀要塞の屋上に、右告示で表示された進入表面から上に約一七・三メートル突出する鉄塔一基を設置し、〈2〉右の五〇名とともに、同年三月二五日から同月二七日の間、右横堀要塞において、同所及びその付近における違法行為の規制・検挙等の任務に従事中の多数の警察官の生命・身体に対し共同して危害を加える目的で、鉄パイプ製大型パチンコ二基、洋弓一張、小型パチンコ七式のほか先端部の尖った鉄製矢、洋弓の矢、火炎びん、コンクリートブロック、石塊その他多数の兇器を準備して集合し、〈3〉右五〇名と共謀の上、同年三月二五日から二七日までの間、右横堀要塞において、〈1〉及び〈2〉の犯行の現行犯人としての原告らの逮捕並びに横堀要塞の捜索・差押及びその警備等の任務に従事中の警察官に対し、大型パチンコを用いて鉄製矢を発射し、洋弓を用いて矢を射かけ、小型パチンコを用いて金属製パチンコ玉、鉄筋片等を発射し、多数の石塊、火炎びんを投げつけるなどの暴行を加えて、火炎びんを使用して警察官の生命・身体に危険を生じさせるとともに、警察官の職務の執行を妨害し、その際、六名の警察官に全治七日ないし一四日を要する傷害を負わせた、というものである。

(三)  被告会社は、昭和五五年一一月当時、公共職業安定所に、中学校又は高等学校卒業者を募集対象者として、プレス工又は旋盤工の求人の申込をしていた。原告は、公共職業安定所の紹介によって、被告会社の右求人に応募し、同年一一月七日ころ、被告会社の代表取締役などの者による採用面接を受けた。その際、原告は、自己の履歴書を提出していた。右履歴書には、学歴及び職歴を記載する欄があったが、原告は、その欄に、最終学歴としては福岡県立修猷館高等学校卒業との旨を記載するにとどめ、福岡大学中退の事実は記載せず、また、「賞罰 なし」と記載していた。面接においては、この履歴書に基づいて、原告の学歴、職歴、家族関係が聞かれたが、原告は大学中退の事実は述べなかった。また、被告会社代表者が、「賞罰はないね」との旨を聞き、原告は、そのとおりである旨を答えた。なお、その当時、右(一)(1)及び(2)の刑事事件の公判係属中であり、原告は、保釈中であった。

(原告本人尋問の結果及び証人渡辺敏広の証言中の右認定に反する部分は採用しない。)

(四)  原告は、昭和五八年三月六日東京都大田区蒲田付近において、いわゆるビラ配りを行っていたところ、軽犯罪法違反として逮捕され、そのため、同月七日、被告会社を欠勤したが、その際、友人事故のため急用にて欠勤したとの内容虚偽の欠勤届を被告会社に提出した。

(五)  原告は、昭和六一年三月一六日夕方、台東区で開かれた集会及びいわゆるデモ行進に参加したが、その際、公務執行妨害罪で逮捕され、その後、引き続き同月二七日まで勾留された(同事件については、不起訴処分となった。)。そのため、同月一七日から同月二七日までの、休日(日曜日(二三日)及び春分の日)を除く九日間勤務できなかった。

その間、原告の婚約者であった秋本玲子(以下単に「秋本」という。)は、同月一七日、右の集会及びデモ行進に参加していた原告の友人から原告が逮捕されたことを聞き、被告会社の所定の用紙を用いて、原告名義で「三月一七日(月)から三月一九日(水)まで三日間有給休暇する」との「届出書(有給休暇)」を作成し、被告会社の従業員を通じて被告会社に提出した。また、右公務執行妨害被疑事件について原告と接見した有吉春代弁護士は、同月二〇日、原告の代理人として、「原告は逮捕されたため出勤不可能の状態である。本人から休暇届の提出を依頼されたので、本人に代わって提出する。原告は、釈放され次第直ちに出勤する。」旨の「休暇届」を作成し、これを秋本を通じ会社に提出した(なお、「休暇届」の趣旨が、欠勤の届であることは当事者間に争いがない。)。右の届を受けた被告会社は、同月二〇日、右届に記載の事由は正当な欠勤事由とは認められない旨の内容証明郵便を、原告の自宅宛に送付した(〈証拠略〉によると、原告は、右内容証明郵便を同月二八日までには受領していたことが認められる。)。

(六)  その後、被告会社は、改めて、原告の経歴を調査したところ、原告は大学を中退していたこと、右(二)(1)及び(2)のとおり入社後二回にわたり懲役刑に処せられていたこと及び右(四)の事実が判明した。

(七)  原告は、同年三月二八日には出勤し、午前八時ころから始業時間である同八時三〇分までの約三〇分間、被告会社内の受付前廊下(タイムレコーダーの設置してある場所付近)で、同月一六日に原告が逮捕された件について釈明すること等を内容とするビラ約七、八〇枚を出勤してきた被告会社の従業員に配付した。その間、被告会社の総務課長であった渡辺敏広が、出勤してきた際及び着替えを終えてロッカールームから出て来た際の二回、原告に対し、「ここで誰の許可を得てビラを配っているのか」とか「就業規則に触れるぞ」といった注意をしたが、原告はそのままビラの配付を続けた。

このビラ配付の際には、右のほか特別のトラブル、混乱は生じなかった。(原告本人尋問の結果中の右認定に反する部分は採用しない。)

(八)  被告会社は、昭和六一年三月二八日、原告に対し、同日からの自宅待機を命じた。そして、被告会社は、同月三一日、経歴詐称、七日以上の無断欠勤及びビラ配りという懲戒解雇事由があり、このままでは懲戒解雇することになるとして、原告に任意退職を勧めたが、原告はこれを拒否した。被告会社は、同年四月一日、原告に任意退職を勧めたが、原告がこれを拒否したため、原告を懲戒解雇する旨の意思表示をし、併せて、原告に対し、予告手当を金額を告げて受領するよう促したが、原告は、予告手当を受領して裁判に負けた例があるとしてこれを拒否した。

2  (証拠略)によると、抗弁2(一)の事実を認めることができる。

3  右1及び2認定の事実をもとに、被告会社主張の懲戒解雇事由の存否について判断する。

(一)(1)  右1(五)で認定した事実によると、原告は、昭和六一年三月一七日から同月二七日までの間、休日を除き、連続して九日間勤務しておらず、被告会社は、これを就業規則三八条一号の「正当な理由なく連続七日間以上無断欠勤したとき」又は一三号の「その他前各号に準ずる不都合な行為があったとき」に当たると主張する(抗弁2(二))。

(2)  これに対し、原告は、まず、昭和六一年三月一七日から同月一九日までの三日間については、年次有給休暇の時季指定を行い、年次有給休暇を取得したものであって、欠勤に当たらない旨主張する。しかし、年次有給休暇の時季指定は、年次有給休暇を取得しようとする労働者が行う意思表示であるところ、右1(五)認定のとおり、昭和六一年三月一七日に被告会社に提出された原告名義の「届出書(有給休暇)」は、原告が逮捕されたことを知った秋本が、独断で作成、提出したものであるから、これによって原告が年次有給休暇の時季指定を行ったことにはならない。

(3)  原告は、また、原告は、昭和六一年三月二〇日、その代理人である有吉弁護士を通じて、欠勤の届出をしており、三月二〇日以降の欠勤も就業規則三八条一号にいう無断欠勤には当たらない旨主張する。

ところで、従業員が正当な理由もなく恣意的に欠勤すると、他の従業員に過重な負担をかけるだけでなくその勤労意欲を減退させ、ひいては職場秩序を乱し、事業の運営に支障を生ずることとなるので、これを懲戒事由とすることは合理的なものであり、被告会社が、就業規則三八条一号で「正当な理由なく七日以上連続して無断欠勤したとき」を懲戒解雇事由としたのも、その趣旨によるものと解される。

かかる観点からすると、欠勤の届出がされていたとしても、その欠勤の理由が社会通念上是認できるものでなければ、届出によって、勤務計画の樹立及び実施の障害となることはないとしても、他の従業員に過大な負担をかけることから、その勤労意欲を減退させ、ひいては職場秩序を乱し、事業の運営に支障を生ずることにかわりはないから、右にいう「無断欠勤」とは、無届欠勤のみならず社会通念上是認できない理由による恣意的なものとして被告会社が承認しなかった場合も含むと解すべきである。(証拠略)によると、被告会社は、就業規則において、欠勤については、原則としてその前日までに予定日数と理由を届け出なければならず、やむを得ない理由で事前に届出ができないときは事後すみやかに届け出なければならない旨定めているが(就業規則二七条)、欠勤について許可あるいは承認が必要である旨あるいはその手続きについては何らの規定をしていないことが認められる。しかし、欠勤理由について届出をさせること、右2認定のとおり「出勤……に関し虚偽の申告をし」たことをけん責、減給又は出勤停止事由の一とし、そのうち情状が重い場合を懲戒解雇事由の一としていることからすると、その理由の当否について被告会社が判断することを予定していると解することができ、欠勤について許可あるいは承認が必要である旨あるいはその手続については何らの規定をしていないからといって前述の解釈に影響するものではない。もっとも、前説示の趣旨からすると、被告会社がその自由な裁量によって欠勤を承認せず、これを懲戒事由となる無断欠勤と扱うことはできず、社会通念上恣意的なものと認められる欠勤についてのみ被告会社は承認せずにこれを無断欠勤として扱うことができると解するのが相当である。

しかるところ、原告の欠勤の理由は、逮捕、勾留による身柄拘束のためであって、その被疑事実は、公務執行妨害、具体的には、原告本人尋問の結果及び(証拠略)によると、原告が参加したデモの参加者が警備に当たっていた警察官に空きびん、石等を投げたというものであることが認められる。しかし、原告の関与の有無を明らかにする証拠はなく(原告本人尋問の結果及び(証拠略)中には原告は何ら関与していない旨の部分がある。)、前1(五)認定のとおり、結果的にも原告は不起訴となっているのであるから、結局、原告が真に右の犯罪を犯したことによって逮捕、勾留されたと認めるには足りない。そうすると、結局、原告の欠勤は、いまだ前述の社会通念上恣意的なものと認められる欠勤とはいえないから、これについて届出がされた場合には、被告会社が、これを不承認としたからといって懲戒解雇事由としての無断欠勤となるものではない。そして、右1(五)認定のとおり、昭和六一年三月二〇日、有吉弁護士が原告の依頼を受けて作成した「休暇届」が被告会社に提出されているところ、この届には欠勤予定日数が明らかにされていないから、右認定の就業規則によって提出を求められている欠勤届の要件を満たしていないかのようであるが、右「休暇届」の理由の記載に照らすと起訴前の勾留の最長期限を一応の終期とするものと解することができること、右終期がいつであるかは有吉弁護士に照会することによって容易に知ることができたこと、欠勤の予定日数についてはその性質上不確定な場合が稀ではなく、右程度の届出でも当面の勤務計画に支障はないと考えられること等に照らすと、右「休暇届」の提出は有効な欠勤の届出と認めることができる。

(4)  したがって、原告が、三月一七日から同月二七日までの休日を除く九日間勤務しなかったことは、就業規則三八条一号の「正当な理由なく連続七日間以上無断欠勤したとき」に当たるとは認められず、また、これが、就業規則三八条一三号の「その他前各号に準ずる不都合な行為があったとき」に当たると解する根拠も見当たらない。

(二)(1)  右1(一)及び(三)認定のとおり、原告は、真実の最終学歴は大学中退であるのに、被告会社の採用面接を受けるに先立って被告会社に提出した履歴書には、高等学校卒業と記載し、採用面接の際、同趣旨のことを述べていたのである。ところで、証人渡辺敏広の証言によると、被告会社においては、旋盤工やプレスエについては、その職務内容及び他の従業員の学歴との釣合いという観点から、最終学歴としては、高等学校又は中学校卒業の者を採用することとしていたことが認められ、また、右1(三)認定のとおり、原告を採用した際に、公共職業安定所に行っていた求人についても募集条件を高等学校又は中学校卒業としていたというのである。

(2)  また、原告は、前1(三)認定のとおり、被告会社の採用面接を受けるに先立って被告会社に提出した履歴書には「賞罰なし」と記載し、かつ、採用面接の際、「賞罰はないね」との質問に「履歴書のとおりである」旨答えているのであるが、一方、原告は、二回にわたり逮捕、勾留され、右採用面接を受けた当時は、保釈中であって、二件の刑事裁判の公判が係属中であったというのである。

(3)  ところで、雇用契約は、継続的な契約関係であって、それは労働者と使用者との相互の信頼関係に基礎を置くものということができるから、使用者が、雇用契約の締結に先立ち、雇用しようとする労働者の経歴等、その労働力の評価と関係のある事項について必要かつ合理的な範囲内で申告を求めた場合には、労働者は、信義則上、真実を告知すべき義務を負っているというべきである。就業規則三八条四号もこれを前提とするものと解される。

そして、最終学歴は、右(1)の事情のもとでは、原告の労働力の評価と関係する事項であることは明らかであり、原告は、これについて真実を申告すべき義務を有していたということができる。

また、雇用しようとする労働者が刑事裁判の公判係属中であって、保釈中であるという場合には、保釈が取り消され、あるいは実刑判決を受けて収監されるなどのため勤務することができなくなる蓋然性の有無、公判に出頭することによって欠勤等の影響が生ずるか否か等を判断することは、当該労働者の労働力を評価し、雇用するか否かを決する上で重要な要素となることは明らかである。このことは、当該労働者がその事件について無罪の推定を受けていることとは関わりのないことである。

そうすると、原告は、被告会社の採用面接を受けた当時、現に保釈中であり、二件の刑事裁判の公判継続中であったのであるから、そのような経歴にいくらかでも関連することについて被告会社から問われた場合にはこれに真実を申告すべき義務があったということができる。そして、被告会社が、採用面接に当たって申告を求めた「賞罰」とは、公的なものに限らず、原告を雇用するか否かを決するために必要かつ合理的なもの、例えば、前科に限らず右のような経歴も含む趣旨であることは容易に推測できることであって、また、原告もこのことを知り得たと解される(なお、証人渡辺敏広の証言中には「賞罰」には、公判中であることは含まれない旨の部分があるが、一般的な場合についての同人の意見にすぎず、右認定の妨げとなるものではない。)。

したがって、原告が、大学中退の学歴及び公判係属中であることを秘匿して、被告会社に雇用されたことは、就業規則三八条四号の「……経歴をいつわり……雇入れられたとき」に当たるというべきである。

(三)  次に、原告が、被告会社に雇用されて後、二回にわたって懲役刑に処されたことは、前1(二)(1)及び(2)のとおりである。

被告会社が、「禁こ以上の刑に処せられたとき」を懲戒解雇事由としているのは、従業員が、禁こ以上という比較的重大な刑に処せられ、その判決が確定したという事実は、その理由となった犯罪行為が当該企業の職務と関連なく犯されたか否かにかかわらず、それによって被告会社の社会的信用を害し、他の従業員にも悪影響を及ぼすおそれがあることにあると解される。そして、原告が犯したとされた犯罪行為の内容は、前1(二)(1)及び(2)認定のとおりであって、いずれも、自らの主張を正当として、それを暴力に訴えてでも実現しようとしたものであって、反社会的な違法性の強い行為であって、社会の強い非難を受けるに値するものである(とりわけ、右1(二)(2)認定の行為について、その態様、内容に照らすと、右のことはより強く妥当する。)。そして、証人渡辺敏広の証言によると、従業員約一五〇名程度の会社であることが認められるから、原告が旋盤工であること、右各犯罪行為が入社前のものであることを考慮しても、右のような犯罪行為について二回にわたって懲役刑に処された原告を雇用し続けることは、被告会社の社会的信用を害し、他の従業員にも悪影響を及ぼすおそれがあるということができるから、原告が右1(二)(1)及び(2)のとおり二回にわたり懲役刑に処せられたことが、いずれも、就業規則三八条一二号に該当するというべきである。

なお、(証拠略)並びに原告本人尋問の結果によると、被告会社は、本件解雇の際には、解雇理由として就業規則三八条一二号を挙げていないことが認められる。しかし、右1(六)認定の事実からすると、被告会社が、原告が1(二)(1)及び(2)認定のとおり二回にわたり懲役刑に処せられたことを本件解雇当時認識していたことが認められ、また、証人渡辺敏広の証言によると、被告会社は、本件解雇を行う際には、右事実を重視していたことが認められるから、解雇の際、就業規則三八条一二号を懲戒解雇の根拠として述べなかったからといって、本訴において右事実を解雇事由として主張できなくなるとは解されない。

(四)  被告会社は、原告が、昭和五八年三月七日の欠勤について虚偽の理由を欠勤届をしたこと及び懲役刑に処せられたことを被告会社に届け出なかったことは、就業規則三八条一四号又は一三号に該当すると主張する(抗弁2(五))。

原告が、昭和五八年三月七日、前日軽犯罪法違反の容疑によって逮捕されたため被告会社を欠勤したについて、虚偽の理由の欠勤届をしたことは、前1(四)認定のとおりであって、これが、「出勤……に関し故意に虚偽の申告をし、……」とのけん責、減給又は出勤停止事由(就業規則三七条三号)に当たることは明らかであるが、その情状が重いものであるとする事情の存在を認めるに足りる証拠はなく、結局これが就業規則三八条一四号の懲戒解雇事由に当たると認めることはできない。

また、原告が、二回にわたり懲役刑に処せられ、その判決がいずれも確定したことを被告会社に申告しなかったことは、右1(二)認定のとおりであるが、右懲役刑は、いずれも執行が猶予されているから、原告が、この刑に処せられたことによって勤務することができなくなる等の原告の労働に対する影響が生ずる蓋然性は低いから、原告が信義則上、右事実を自ら積極的に申告すべき義務を負っていたと解することはできない。

また、被告会社は、就業規則九条の規定によって選考試験を受ける際に提出した履歴書の記載事項中、就業規則一一条によって変更が生じたときに届け出るべきものとされている「その他重要な事項」に賞罰が含まれるから、原告が、二回にわたり懲役刑に処せられその判決がいずれも確定したことを被告会社に申告しなかったことは右就業規則一一条に反する旨主張する。

しかし、(証拠略)によると、就業規則一一条は、第九条(入社時の提出書類)の規定によって提出した書類の記載事項中の、1本籍、2現住所、3通勤方法、4自己の氏名、5世帯主の職業、6家族、7学歴、8その他重要な事項に変更が生じたときは遅滞なく届け出なければならない旨を定めていることが認められる。しかし、右規定によって届出を求められている1ないし7の事項は、そのほとんどは、諸手当を含む賃金、源泉徴収すべき所得税額の変更等を生ずべき事項、社会保険等に関する諸手続きに必要な事項等であることが窺われ、8の「その他重要な事項」も、例えば必要な各種の免許や資格を取得しあるいはそれを喪失したことなど、右に準ずる事項に限ると解する余地があり、被告会社主張のように賞罰がこれに含まれるかは疑問である。仮に、原告が就業規則一一条によって、懲役刑に処されその判決が確定したことを届け出ることが求められていたると解する根拠はない。

(五)  被告会社は、かねてから被告会社内でのビラ配付を厳重に禁止していたのであるから、右1(七)認定のとおり、被告会社内でビラを配付したことが、就業規則三八条三号の懲戒解雇事由に当たると主張する(抗弁1(三)及び2(六))

しかし、(証拠略)によると、被告会社は就業規則において、集会又は所定の場所以外への文書の貼付若しくは掲示については許可を要する旨定めている(就業規則五条一一号)が、ビラの配付については特にこれを禁止ないし許可を要する旨の明文を規定を置いていないことが認められ、その他、被告会社がかねてから会社内におけるビラの配付を強く禁止していたことを認めるに足りる証拠はない。このことに、前1(七)認定のとおり、原告がビラの配付をしたのは始業時間前であること、また渡辺課長が行った二回にわたる注意も、出勤の際及びロッカールームから出てきた際のいわば通りすがりに注意したものであって、強くこれをやめさせようとしたものとは解せないこと、原告のビラ配付によって渡辺課長が注意をした以外に特別の混乱、トラブルは生じていないことを併せ勘案すると、原告が右1(七)認定のとおりビラを配付したことは「職務上の注意に不当に反抗し職場の秩序をみだしまたはみだそうとしたとき」との懲戒解雇事由に当たるとは解せない。

3  原告は、仮に、原告のいずれかの所為が、懲戒解雇事由に当たるとしても、本件解雇は解雇権の濫用であって無効であると主張する。

しかし、右2認定説示のとおり、原告は、二つの懲戒解雇事由に該当し、そのうちの、経歴を偽って雇い入れられたときとの懲戒事由に関しては、学歴及び公判係属中であるという二点においてその経歴をいつわっていること、禁こ以上の刑に処せられたときとの懲戒事由に関しては、その刑は執行が猶予されているものの、その理由とされた犯罪行為は、社会的に強く非難されるべき行為であって、それだけ被告会社の社会的信用を害し、他の従業員に悪い影響を及ぼすおそれのあるものであったのであるから、原告の被告会社における職務内容や地位を考慮にいれても、なお本件解雇が解雇権の濫用の当たるとするだけの事情を認めるに足りる証拠はない。

4  原告は、本件解雇は、原告が組合の執行委員であって、活発な組合活動を行っていたことを嫌悪した被告会社が、たまたま原告が逮捕されたことを利用して、原告を被告会社から排除することを目的としてされたものであるから、労働組合法七条一号の不当労働行為に当たり、無効である旨主張する。

そして、原告が昭和五九年九月に組合の執行委員に選出されたことは、当事者間に争いがなく、(証拠略)並びに弁論の全趣旨によると、原告は本件解雇当時も組合の執行委員であって活発に組合活動を行っていたこと、被告会社と組合は、昭和五九年一月から昭和六二年三月にかけて組合員であった大畑龍二の配転を巡って対立し、組合は争議行為を行っていたことを認めることができる。しかし、本件解雇が、原告が組合員であるが故に又は原告の組合活動の故にされたものであるとかの事実を認めるに足りる証拠はない。したがって、右の主張は理由がない。

5  原告は、被告会社は、本件解雇に当たって予告手当を提供していないから本件解雇は無効である旨主張する。

しかし、被告会社が、本件解雇に当たって原告に予告手当を支払う義務があったか否か、右義務があったとしても、予告手当が提供されなければ解雇が無効となるか否かは、さておき、右1(八)認定のとおり、原告は、口頭で提供された予告手当の受領を明確に拒絶しているのであるから、右の主張も理由がない。

6  したがって、本件解雇は有効である。

四  以上の次第で、被告会社に対する雇用契約上の権利を有する地位にあることの確認を求める請求と、昭和六一年四月二日分以降の賃金の支払いを求める請求は理由がない。しかし、昭和六一年三月一六日から同年四月一日までの賃金の支払いを求める請求は、被告会社はその支払いを免れ、あるいはこれを拒める事実を何ら主張立証しないから、理由があるところ、その間の賃金は、当事者間に争いのない請求原因3中の賃金規則によると、その間の原告の勤務した日一日当たり、当事者間に争いのない請求原因1の原告の賃金額の二五分の一というべきである。そしてその間の原告の勤務した日(自宅待機を命じられていた日。)は、右三1認定事実並びに右三3(一)(2)及び(3)の説示に照らすと、三月二八日、二九日、三一日及び四月一日の四日間である(三月一六日及び三〇日は日曜日である。)から、原告が支払いを求めることができる賃金額は、二万九四四〇円(一八万四〇〇六円÷二五×四)となる。

よって、原告の本訴請求は、右二万九四四〇円及びこれに対するその支払期の後である昭和六一年四月二六日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるから認容し、その余は棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条ただし書に従い、仮執行宣言は必要がないのでこれを付さないこととして、主文のとおり判決する。

(裁判官 水上敏)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例